記事によると、渡辺淳一氏は作家としても偉大だが、医師としても優れていたに違いない、と私は思っている。
医師でもあることを利用して、私がタダで診断してもらおうとしたとき、氏は病状の説明だけでは診断できないと、こう言われた。
「私は医学が科学であるかどうか疑っているんです。同じ環境でも発病する人、しない人がいる。同じ病状の人に同じ治療をしても、治る人と治らない人がいる」
旧制高校というのはエリート養成の学校であったことは確かで、多くの俊才を出したことも事実である。半面、人と病気の関係と同じで、エリートになる人、東大を出たというだけで、それ以外に取りえのない人がたくさんいたことも事実である。
しかし旧制高校生は私立大学やその予科生に対して、いわれのない優越感を持っていた。
後に作家になる阪田寛夫が、関西学院大学の徽章(きしょう)を寄宿舎の壁に書いて、「オレ、ここに行きたかったんや、女にもてるんや。それなのに、こんな田舎の学校(旧制高知高校)に来てしもうて」と、私に言ったのは、周囲の寄宿舎仲間に対して、そのいわれなき優越感を嘲(わら)ったのである。彼こそわが同志と信じたのは、その時だった。
2学期になって、2人は寄宿舎の同じ6畳で暮らすことになったが、高校生の必読書とされた『善の研究』や『三太郎の日記』などには、手も触れなかった。
ジャーナリストだった私の父からもらったアメリカの作家、サローヤンの短編に憧れたり、ナチスの勃興期のドイツに留学して、社会の変化を書いた英国のイシャウッドの作品と戦時下の日本の比較を2人で論議していた。
2人は高校生として出来損ないだったろうが、プライドだけは高かった。
本書は、大日本帝国時代の旧制高校のエリート性をよく書いている。この学校は優れた人材を数多く産みはしたが、それ以上に、出来損ないも少なくなかったことにも、触れてほしかったように思うとのことです。
内容紹介
戦前のエリート養成機関・旧制高校の精神とは
旧制高校は明治の半ばから昭和25年までに存在した戦前日本のエリート養成のための学校でした。
その数は帝国大学の予科や外地を含めても40校に満たず、10代後半から20歳前後の同世代男子の1%以下というエリートの卵たちが、「自由と自治」を掲げて寄宿寮で共同生活を送りました。
そこでは、哲学、文学、歴史の本を読み耽り、自作の寮歌を歌い、天下・国家や人生について語りあかしたのです。
彼らのほとんどは東大、京大といった帝国大学に進み、政・官・財・学のリーダーとなっていきました。
翻って、今の日本をみると、いずれの分野でもリーダー不在が言われ、特に政治の劣化と地盤沈下が言われて久しいものがあります。
「ノブレス・オブリージュ」を実践した若者たちの心意気
現代日本の重要な課題のヒントがここにある
小柴昌俊・中曽根康弘・三浦朱門・今井敬・西澤潤一・李登輝・半藤一利氏らが語る
喜多由浩
産経新聞出版
売り上げランキング: 1,864
▶ 楽天ブックス 本TOP
本、書籍の通販/新刊・予約・ランキング、注目・話題・人気の本
▶ 楽天koboイーブックストア
新着ピックアップ/新作追加!ebookセレクション!
▶ 楽天ブックス DVD・ブルーレイTOP
新作予約・人気のタイトルが満載/スペシャルプライスセール開催中!
Ads by SCL